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韓国での生活、育児、仕事などの日常


by sarahnok23
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運動解禁

先週、産後1ヶ月半の検診があった。産後2週間でも検診があり、その時は子宮収縮や会陰切開の回復の経過を見る程度だったのご、今回はそれらにプラスして、血液検査や骨盤収縮のチェック、骨密度検査などの項目が追加された。

子宮は妊娠前の状態にほぼ戻り、回復も良好。簡単な運動から始めても良いと担当医からの許可が下りた。

妊娠中は体重管理をしようもなかなか思うように体が動かず、少し食べただけで体重にすぐに反映されてしまっていた。産後は多少の腰痛などはあるけれど、お腹が軽くなっただけでこんなにも快適に過ごせることを久しぶりに実感して、早く体を動かしたくて仕方なかった。おまけに、授乳中ということもあり、食べても体重が増えない不思議。そこへ運動が入ると体重は減っていくはずだと、希望の光が見えたので運動解禁を心待ちにしていたのだ。

というこので、運動のゴーサインが出て早速、長女を幼稚園に送ったその足で、ベビーカーに乗せた次女と2人で散歩をスタート。骨盤底筋には骨盤ベルトを締めて。この方法で長女の時も少しずつ体重を戻して行ったのだけど、それも5年前の話。体は確実に歳をとっているので、どこまで結果が出せるかわからないけど、赤ちゃんとの時間を楽しみながら、体力と筋力をつけていきたい。 

冬に出産して、赤ちゃんとの外出が楽しくなる頃に春になっているなんて素晴らしい!長女の出産は夏の終わりで、外に出られるようになったと思ったらだんだんと季節も冬へ向かっていったので、産後の気分も一気に落ちて鬱々としてしまったから余計に、今年の春は清々しい気分だ。一体コロナウィルスはいつになったら収束に向かうのか先の見えない不安はあるけれど…。

長女の幼稚園は任意登園実施中なので、今日もこれから散歩に出かけるとしよう。


# by sarahnok23 | 2020-03-23 10:22 | ★韓国で育児★ | Comments(0)
子どもが生まれてから、育てていく過程の中で、自分の幼少期の事を思い出すことが多くなっている。歳を取って自分の人生を振り返っているのか、子育てと自分の育ってきた環境を照らし合わせているのかは分からないけれど、とにかく、子どもの頃に見聞きしたこと、されたこと、いろいろな事を思い出している。それは、特別な日の思い出だったり、何気ない日常の一コマだったり、思い出すシーンは様々なのだけど、思い出しながらも最終的に、今の私自身が確立されていく過程に影響を与えていたことって、些細な出来事の積み重ねだったんじゃないかと感じている。心理学者でもなければ教育者でもないので、専門的なことはわからないので、あくまでも、感覚的なものなのだけど、とういことは、今私がしている子育ては、娘たちにすごく大きな影響を与えていることになる。そんな当たり前のことに今更気づいた私は、やっぱり子育てを甘く見ていたのかもしれない。

私の人格形成に大きな影響を与えていたのは、もちろん一番身近な家族で、それは両親と兄弟。その次に影響を与えたと思うのは、その当時住んでいた地域で関わってきた人たちである、学校の友人や、地域の大人たち、先生など。

その人たちがどう私に影響を与えたのか、具体的には説明できないけれど、頭の中でぼんやりと思い出される当時の記憶を掘り起こして(でも、あまりいい思い出ではない)振り返りながら、具体的に言語化して振り返ってみたいとふと思ったので、ここ、ブログで時々書いていくことにした。

今日はその一つ。

今から35年前、末っ子の弟が生まれて、家に初めてきた日のこと。
私は当時幼稚園の年長さん。弟は早生まれだったので、私はもうすぐ小学校入学を控えていた。ちょっと遡って、母が妊娠中の記憶も2シーンほど覚えていて、子どもながらに新しい命が生まれてくることは理解していた。ただ、そこに、弟が生まれることへの嬉しさや戸惑いと言ったような感情の記憶は残っておらず、ただ、その事実だけが平凡なドラマのワンシーンのように思い出されるだけなのだ。
弟が生まれて、母と病院を退院して家に初めてやってきた日。家に入ってくるシーンを鮮明に覚えている。父が弟を抱いて母と一緒に家に入ってきて、ソファーの上に弟を寝かせたのだけど、まだ幼い妹や私が力加減なく触ってしまわないように、父は私たちを少し遠ざけようとしていた。そして、当時飼っていた猫がソファーの背もたれの上に登ってきて、寝ている弟を見下ろすような形で近づいてきたことに父は驚いて、とっさに猫を追い払おうとしていたと思う。弟が家にやってきた直後、その猫は2階のほとんど使われていない部屋に追いやられて、私たち兄弟は時々、2階へ行って、部屋のドア越しに猫の様子を確認しに行った。でも、なぜか、部屋の中には入らなかったのは、きっと覚えていないだけど、父から入ることを許されなかったからだと思う。そして、まもなくして我が家からその猫の姿がなくなった。父からは農家の知り合いに飼ってもらうことにしたと聞かされた。今でこそ、赤ちゃんと猫や犬などのペットが同じ空間にいることは問題ないとされているけれど、当時は共存させることは非常識な考え方だったのだろうか。 

そして、時が経ち、私たちが大人になってから、その猫は農家にもらわれたのではなくて、人里離れた酪農家が点々とある田舎道のどこかで野良猫になったと聞かされた。

よくよく考えれば分かるようなことも、子どもだった私は、両親から聞かされることが全てで、疑いもしていなかっただけに、大人になって色々と受け止められる年齢になっても、この猫の話は少しショックだった。大人は、こんなにも簡単に嘘をついて残酷なことをするんだと。

これが教訓になったというわけではないけれど、私が子育てしていく中で、いくら子どもが純粋でなんでも信じるからといっても、大人の都合で嘘をつかないように気をつけている。
私の両親は、今思うと、このように子どもに真実を話すべきではないことは、その場しのぎの嘘で私たちを納得させることが多かったように思う。それでも、賢かった一番上の兄は、それらのほとんどを見抜いていた。成長するにつれ、当時の親の言葉が真実ではなかったと気づいたことを兄に話しても、そんなの当たり前だろうと言わんばかりに、年下の兄弟たちの当時の純粋さを笑っていた。



この幼い日の一日は、きっと、両親にとっても
他の兄弟にとっても、記憶の片隅にあるだけで、これから思い出されることはないかもしれない。そのくらい、なんてことない一日だったから。でも、私はなぜかこの日のことは、今までに何度も頭の中でぼんやり思い出している。

あと、新生児の弟がすごい声を上げて泣いているその泣き声も覚えている(当時にはなかった言葉でいうなら、ギャン泣き) 今、目の前にいる次女が空腹限界で泣く時の泣き声と似ているから笑える。赤ちゃんってみんな同じように泣くのかな。

初めて、こうして振り返ってみた昔の記憶。
実際と私の記憶がどの程度合致しているか、知る術もないけれど、これからまだまだ続く育児の参考になるかもしれないし、私の心の安定になりそうなので、また気が向いた時に書いてみます。




# by sarahnok23 | 2020-03-11 13:00 | ★幼少期振り返り★ | Comments(0)

出産振り返り②

続きです。



127日(月)出産当日


630起床

あまり眠れなかったのに、早く起きて病院へ行く準備。

娘が起きる前に私と夫の身支度を済ませる。


7:00 娘起床

娘も緊張からなのか、遅く寝た割に早く起きてきた。

私の大きなお腹が見えるように娘と一緒に写真をとろうとしたけれど、なぜか機嫌が悪くお腹が写らないように邪魔をしてきた。


8:00頃 義母到着

この日から娘のお世話をしてくれることになっていた義母が到着。

簡単に不在時の説明。


840 自宅出発

と、思いきや、駐車場で我が家の車の前に停まっている車が邪魔で出発できない。韓国ではよくあることなのだけど、フロントガラスに貼ってある車の持ち主の携帯に電話をするもなかなか出ない。予定変更で義母の乗ってきた車で行くことになり、鍵を受け取り駐車場に行くと、今度は義母の車の前に引っ越し用の大型トラックが一時停車しており身動きができず。そうこうしていると、先ほど電話をかけていた車の持ち主から折り返しががあり、車を移動するために駐車場にきてもらい無事に出発。車の鍵を渡しに行ったり、また撮りに行ったりと、いくらお産を促すために動くことが良いとされているとは言え、出産当日の朝から体力をすでに消耗してしまった。


900頃 病院到着

夫が立体駐車場に車を止めている間に私は分娩の受付。

個人情報や出産歴、その際の状況などを記入し、最後に同意書にサイン。

カーテンで仕切られたベッドのある部屋に案内され、病院着に着替える。

着替えている途中でせっかちな看護師が入ってきて、早速浣腸をされ、トイレに行くよう指示される。

元々、便秘知らずな私に浣腸をする意味などあるかわからず、お腹はずっと痛いのに一向にすっきりしない。

(後々、他の妊婦さんに「浣腸をしたら5分我慢してから出してくださいね」と言っている会話を耳にする。私を担当してくれた看護師からはそんな説明なかった)


トイレで苦しんで戻ってきたところで、点滴の準備。促進剤投与(量は不明)


夫もまもなくして到着


945 担当医が様子を見にくる 内診 子宮口2.5センチ

    お腹の張りなどからして、まだ促進剤が効いてないとのこと。


夫とたわいもない会話をしながら促進剤が効いてくるのを待つ。

長女の時の出産もそうだったのだけど、夫は狭い陣痛室の簡易椅子に座り、壁に頭をつけて気づいたら寝ていた。


11:30 夫昼食で外出。

軽く食べてくるのかなと思いきや、連絡してみるといつも食べたいと言っていたバーガーキングにいた!カロリーも高いし、不健康なので、妊娠中に体重管理をしていた私とは一緒に食べられないメニューだった。たまたま病院の近くにお店があったのをいいことに、ここぞとばかりに、大きなバーガーを堪能していたようだ。私は、これから無痛の麻酔も控えているので、お水以外は飲まないようにと言われており、お腹を空かせて夫の戻りを待っていた。


11:45 NST 検査 張りはあるけど陣痛と呼べるものではない印象。


14:20トイレに行こうと起き上がったところで破水。

破水直後からやっと痛み。内診すると子宮口変わらず2.5センチ!

経産婦は進みが早いからということで、無痛麻酔をするか否か聞かれて、すると答えると夫が同意書の確認とサインをしに出て行った。


赤ちゃんに酸素が行き渡らない可能性があるからと、酸素マスク?をつける。


14:40 急に痛みが襲ってきた。麻酔準備の前にもう一度内診 4.5センチ 


15:00 カテーテルをつけるため、背中を思いっきり丸める。背骨の腰のあたりに針を刺すのがきもちわるかった。


カテーテルをつけ終わったあたりから痛みが増してきて、間隔を測るとすでに2分間隔。


麻酔投与


まもなく痛みが引いてきた。


しかしながら、20分ほどで再び痛みが。

恥骨のあたりが圧迫されていて、苦しい痛み。

赤ちゃんが降りてきていることは想像がついていた。


15:45 内診。8.5センチ! 誘発剤のせいなのか、経産婦だからなのか、この1時間で急展開。

赤ちゃんを下に下ろすために、痛みに合わせて軽くいきむよう言われ、看護師に合わせて一緒にいきむ。




16:00 分娩室へ 剃毛、会陰切開の炎症を抑える注射など準備していると担当医登場。


16:18 陣痛3回分全力でいきんで頭、肩の順番で出てきた。


生まれたての赤ちゃんが胸の上に。ずっしりとした重さと、産声にほっとした。

夫がへその緒も切って、そのまま持ってきたデジイチで撮影。


無事に第二子の次女誕生となった。


*******************


破水してから2時間弱で産まれたのですが、こんなにも早く進みビックリ。経産婦であること、促進剤を使っていることもあるからなのか、あれよあれよと言う間にことが進み、ついていくのに必死だった。


韓国での2度目の出産。

自然に任せるお産と言うよりは、赤ちゃんだけではなく、お母さんの痛みとお産にかける時間を出来るだけ軽減させる分娩といった印象を受けた。そんな訳なので、私も陣痛に何時間も耐えたという経験はしていない。もちろん、どちらの出産もそれなりに痛かったし、産後の会陰切開の痛みやひどい浮腫み、それに腰や節々の痛みなど、産後1ヶ月以上経っても現在進行形で出産の痛みを時々感じている。これが最後の妊娠・出産であることは確かなので、痛みや不満も全て終わってみれば良い思い出になったかな。 


それから、陣痛に耐える時間が短いせいなのか、よくわからないけれど、出産前は人様の出産のドキュメンタリーなどを見て自分も号泣していたのにも関わらず、自分の出産では二度とも全く涙が出なかった。なんでだろう。私の場合、二度とも生まれた直後に安堵感でいっぱい、そして、生まれてきた我が子を見て、この大きさがどうやって下から出てきたのか、冷静に考えている自分がいた。そこに、感動や安堵の涙はなかった。そんな物なのだろうか。


ともあれ、出産は人生の最大イベントであることは間違いなく、今回ももちろん特別な1日となった。


不思議な物で、1人目の時は、あれほど育児にストレスを感じて、1人の時間が持てないことや、小さな赤ちゃんに全て振り回されている環境に耐えられないと思うことが多かったのに、今回は今のところそんな気持ちになることなく、体はしんどいけれど、「育児」というものを自分なりに楽しめている。きっと、それは、経験があるからというのはもちろんのこと、復帰予定の仕事がある状況が自分の精神状態を安定させている一番の要因になっているのではないかと思う。 


明日からも育児がんばろう。







# by sarahnok23 | 2020-03-10 18:32 | ★妊娠・出産 第二子★ | Comments(0)

出産振り返り①

忘れないうちに、今回の出産を振り返ってみよう。
といっても、もう時系列は正しく覚えていなくて、スマホのメモに記録しておいた内容と陣痛アプリだけが頼り。


【出産前日まで】
もういつ生まれても良いとされる37週になった数日後から、ちょうど韓国は旧正月の連休中に入った。いつもなら私たちも本家(夫の曽祖父母宅)のある地方へいくところを、出産を控えているのでもちろん免除。曽祖母はいつも日本から嫁いできた私を気にかけてくれおり、2人目の妊娠をきっと誰よりも期待をして喜んでくれていたので、新年のご挨拶も兼ねてビデオ通話をした。他の親戚や新婚の夫の従兄弟夫婦もきており、とても賑やかな雰囲気だった。この時、昨年見た映画の「82年生まれ キムジヨン」の一コマ「私は臨月なのに名節に義実家に行った」というところを思い出してしまった。

出産前日は、家族3人で過ごす最後の時間ということで、娘にもしばらく会えなくなるし、寂しい思いをできるだけ軽減させてあげたいということで、近所のショッピングモールで食事をし、娘が欲しがったぬいぐるみを買ってあげた。夜ご飯は、娘がなぜかパン屋さんに行きたいと言い出したので、リクエストに答応えることにした。そのパン屋というのは、韓屋を改装して作られたパン屋+カフェ。バルコニー席からちょっとした散歩コースに出られるような造りになっていて、昨年の妊娠中の夏の夜、そしてクリスマス当日にケーキを買いに行くついでにイートインしたお店なのだけど、どうやら、娘にとっては、そうやって家族3人でそこへ来てパンを食べながらワイワイと過ごした時間がとても楽しかったよう。もう色々と理解できている年なので、娘なりに、私と離れ離れになることを受け止めてのリクエストだったのかな、と今になって思う。

臨月はできるだけ自宅の浴槽にお湯を入れて、娘と一緒にお風呂に入っていた。私が体を温めたかったのと、出産後はしばらく湯船に入れないという理由、そして娘がお風呂大好きだというのもあり、一緒に遊びながら入っていた。出産前日の夜も、2人でお風呂に入り、パパには内緒だと言って、お風呂にジュースを持ち込んで飲みながらのバスタイム。 なんでもないことだけど、娘はとても楽しそうにしていたのが今でも思い出される。

妊娠後期に入り、娘の寝かしつけは、産後のためにも夫にしてもらっていたのだけど、最後の夜は私と一緒に。
ベッドでは、もう一度、明日ママは赤ちゃんを産むために病院へいくこと、その後はしばらく家には帰れないことなどを話した。そして、私は娘が眠りについてからもしばらく寝顔を眺めていた。

私は緊張からからあまりよく眠れないまま朝を迎えてしまった。


長くなったので、次に続きます。
*******************
二度目の出産から40日が過ぎた。
もう40日なのか、まだ40日なのか。

赤ちゃんのお世話と生活ペースが異なる上の子のお世話とで、出産前はどうなるか不安も多かったけれど、やはり、歳が離れているだけあって、上の子は一通り自分のことは出来るようになっているし、言葉で意思疎通も問題無くできるため、2人同時に要求を満たしてあげなければならないような状況に陥ることはほとんどないので、想像よりは上手く回っている2人育児。 ただ、確実に全開の出産時よりも歳をとっているわけで、身体的な余裕はあまりないかもしれない。幸いにも、今のところ次女も手がかからず割と大人しい子なので、必要以上に身体を酷使するような場面はない。それなのに、少しずつ腰や節々がやられているのは、やっぱり年齢からくる身体の衰えを感じる。

出産を振り替えると、それも経産婦故の短時間勝負だったこともあり、ダメージ自体は最低限で済んだように思うも、その最低限のダメージですら回復に前回よりも時間がかかっていることは明らかだ。

長女も次女も、心から可愛いと思いながら接する心の余裕はあるので、体とのバランスを保てるよう、出来るだけ体を休める時間をとり、そして、もう少し経ったら体力をつけるために散歩から始めてみようと思っている。





# by sarahnok23 | 2020-03-08 22:50 | ★妊娠・出産 第二子★ | Comments(0)
早いもので産後1ヶ月が過ぎた。

韓国は日本以上に産後の肥立ちがとても重要だと考えているように感じる。

経膣分娩の入院は二泊三日と短いものの、ほとんどの産婦さんは産後調理院で2週間はど過ごし(期間は人により前後することもある)その後は実家で過ごしたり、私のように産後ヘルパーに来てもらいながらできるだけ何もしないで体を休めている。 これは、日本の制度の問題もあるのでなんとも言えないけれど、本当は日本でも同じように考えられているのに、結局は実家が遠いなどといった理由で退院後から動き回らず得ないママたちが多いのかもしれない。産後のヘルパーサービスも自治体によって条件があったり、民間で個人的に頼むと費用が高額だったりするらしい。 

ありがたいことに、産後のヘルパーに関しては、事前に申請すれば、認定されている民間のヘルパーの派遣会社を一部の自己負担金で利用することができる。しかも、その費用は出産奨励金といって、市からの出産祝金のようなもので全額賄え、お釣りまで来る(自治体による。さらに、1人目と2人目の場合も異なる)少子化が深刻なのは韓国も同様だからなのか、私が長女を出産した頃よりも国や自治体からの補助金制度など驚くほど改善されていた。

このように、産後は民間のサービスを利用したりしながら、産後の回復に努める韓国。そのおかげで、私も産後1ヶ月過ぎてもまだキッチンにはほとんど立たず、平日は特にヘルパーさんのおかげでゆっくりと過ごしている。
また、義母世代の女性は、さらに産後の肥立ちが悪いと後々大変だと、その重要性をよく口にしている。義母とは長女の産後に色々と葛藤やら何やらあったけれど、お互いに成長したのか、付かず離れずの距離を保ちながら、なんとか良好な関係を築いてきたと思う。そんな義母も、可愛げのない私のような嫁に対しても、産後なので休むようにと、色々と気を使ってくれている。週末には直ぐに調理できるように下ごしらえをした食べ物や作り置きのおかず、果物やおやつなど、沢山の食料を持ってきてくれる(先週はコロナの影響もあり訪問を遠慮してもらい、夫にサッと受け取りにだけいってもらった)。 腰や節々が痛いと知って、こっそりとマッサージを受けなさいとその費用を渡してくれたり、そして何よりも、長女の時のように、赤ちゃんの状態や授乳について驚くほど何も言わなくなった。
体の状態はもちろん、精神的な部分でも産後はデリケートなのを5年前にお互いに学んだのか、うるさく言われなくなっただけで、次女を抱っこされても全く嫌な気持ちにならないから不思議。5年前は触られるのも心底嫌だったのに…。私が知らないだけで、夫がそれとなく言ってくれたからなのだろうか。


産後のヘルパーさんは、上の子の送り迎えもしてくれる。我が家は朝早くヘルパーさん、帰りは私の気分転換も兼ねて私が。お迎えには、両親に代わって、祖父母の方も来ていることが多いのだけど、産後の私が迎えに来ている姿を見て、「産後間もないのに外に出てきちゃダメでしょう!」と親切心に注意を受けることもある。1人や2人ではなく、ほぼ、顔見知りのおばあちゃんたち全員に言われたように思う。もちろん、おばあちゃんたち以外にも先生や他のママたちにも同様に心配される。

このように、人々の考え方や施設の充実ぶり、そして国や自治体の制度もそうであるように、産後はやっぱり休むべきなんだと、この国で2度の出産を経験して改めて感じた。

2回目の産後は今のところ、心身ともに落ち着いて過ごせている。 


# by sarahnok23 | 2020-03-02 14:30 | ★妊娠・出産 第二子★ | Comments(0)