2019年 02月 01日
日本人として韓国でやりたいこと、できること、興味を持てること
どうしても外国にいると、日本にいた頃の自分と同じように動けなくてもどかしいことがある。
その1つが、職の選択肢だと思う。
専門職でなければ、ある程度の機会はあるけれど、育児をしていて、韓国語にも不自由があれば、当然のことなのかもしれない。
そういった中でも、外国人として(日本人として)活かせることとして一番に思いつくのは、日本語を教える仕事。
そして、日本人向けの子どもの教育関連。
実は私もその2つに興味を持ったことがあったのだけれど、5年間の韓国生活で経験してみて、それは自分には向いていないことに気がついた。
まずは、日本語教師。
機会があって、知り合いの方からの紹介で、日本就職へ向けての面接の練習と履歴書のチェック、そしてフリートーキングの家庭教師をしたことがあった。
生徒さんは、別で学校に通いながら、日本語と専門的な分野の勉強もしていたようで、かなり努力をしていたし、それを応援しながら日本語をサポートするのもそれなりにやり甲斐もあった。
しかしながら、私が今まで経験してきた業界とは全く異なり、ある程度自分主体で物事を進められる仕事とは異なり、生徒さんのレベルや意向に沿うことを求められ、どんなに頑張っても、相性だったり、実際に勉強している本人のやる気によって結果が左右されることが大きくて、自分のやりがいにあまり繋がらなかった。もちろん、これはあくまでも私の個人的な考え方だけれど。
私は、人に教えるより、自分が学ぶ立場でそれを生かして成長させたいタイプの人間らしいことに気づいた。
韓国で外国語の先生はなかなか割りのいいアルバイトで、この個人レッスンも経験ゼロの私には破格の報酬だった。
でも、もうやらないと思う。
そして、子どもの教育。
ここには、子どもの日本語教育も含まれている。
娘の成長とともに、日本語や韓国語、その他の教育ひ関心が高くなったので、これを専門に勉強することも面白いのではないかと思ったことがあった。低月齢の頃から、ベビーマッサージやら五感を刺激するレッスンに通ったりもしたのは、娘のためでもあり、私の気晴らしのためでもあった。 やはり、娘が反応して喜んだり、成長して行く過程は興味深くて面白いものがあった。 しかしながら、成長して行く過程で、興味がなくなったものがある。それは、今の娘より小さい子のための教育だ。 つまり、私が興味を持っていたのは、用事の教育全般ではなくて、今の娘、完全に親としての目線での教育だったのだ。 冷たい言い方をしてしまうと、自分の子以外の教育には興味がないということ。
結局、この2つを軽く経験してみて気づいたことは、自分に先生という仕事は向いていない、いや、好きではないということだった。
そう言えば、会社でも、OJTなんかで教えてもらうのは良くても、教える立場になるとなんだかやりにくかった記憶がある。
韓国でやりたいことを見つける旅にまた出かけなくてはならないようだ。
by sarahnok23
| 2019-02-01 07:08
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